2ペンスの希望

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あまりぱっとしない‥博打との‥

neoneo ♯6の特集記事三本目。
ドキュメンタリー映画の配給宣伝会社「東風」の渡辺祐一さんの一文。
「ぼくらなりの理説はあるのですが」と題した論考。
ドキュメンタリーの劇場公開がカジュアルになってからは、新規事業を立ち上げようとするビジネスマンたちが「話を聞かせてほしい」と僕らを訪ねてくることがあります。無下にお断りする理由もないので、お会いして小一時間ほど僕らのぱっとしないビジネスの話をすると、彼らもまたあまりぱっとしない顔で帰っていきます。彼らの多くに共通するのは、映画のことを「コンテンツ」と言い、観客を「ユーザー」と呼ぶ、そんな言葉づかいです。
 ビジネスとしてのプロジェクトには「スピード」と「コストパフォーマンス」がもとめられる。すぐれたビジネスマンにもとめられるのは、投資をすみやかに、かつ確実に回収する能力です。たぶん。
 でも、僕らが配給する映画を決めるときに(というのが世のビジネスマンにとっての新規プロジェクトのたちあげにあたるのかな)、まず考えるのは「面白いかどうか」そして「気持ちよく仕事ができそうか」「先行投資する配給宣伝費がいつかは回収できそうか」ということです。優先順位もおおむねこんな感じです。本当に。
 べつにふざけているわけではありません。そこにはちゃんと、僕らなりの理説があるのです。でもその話は、また後で。
」‥‥その後、「甘辛い理説」が続くのだが割愛。
論考末尾にはこうある。
そもそも映画の興行は博打です。身も蓋もないお話ですが、それだけはどうやらたしかなことのようです。でも、ギャンブルとの付き合いかたにもいろいろある。何を賭け金にするか。何を失うことを最大のリスクとするか、どんなゲームの規則でプレイしたら、より楽しめるのか。考えるだけでわくわくします。
昔々読んだ鈴木清順の言葉「映画なんか、いい映画、悪い映画はない。幸運な映画か不幸な映画か、その二種類しかないんだ」を思い出した。