2ペンスの希望

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映画史 続き

皮肉屋の友人からメールがきた。
古代=撮影所の時代 近代=街場の時代 現代=学校の時代 という分類はどうだろうか、とあった。スタジオ・セットの中から、外のロケーション・ロケセットへ、それがいまや、街場・市街地でキャメラを回すのがどんどん難しくなってきた。肖像権や個人情報保護で許可なしには何も写せない、窮屈になっている。それが彼の実感らしい。もはや、大学や囲われた公園・砂場あたり、管理され許可された範囲でしか撮影不可、仲間内だけで、無邪気に戯れる“映画ゴッコの世界”になっている、と彼は嘆く。
分からぬでもない。
「俺たちの知ってる映画の歴史はもう終わっている」 そうも書いてあった。 確かに。
壊滅後の更地に“掘っ立て小屋が林立”している。そんな状態が続いている。
“苛烈で野放図な草刈り場”とでもいおうか。それでもそこからしか新しい映画が芽吹かないなら仕方ないのか。いずれにしろ手探りでも前に進むことだ。
専門学校や大学の退廃(大敗)とは無縁な胚胎が澎湃としておこることを夢想する。