2ペンスの希望

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キャメラ?

映画の必要条件って何だろう。答えは様々にありうるだろう。
あまりに当たり前すぎるが、キャメラというのはどうだろうか。文学たらしめているツールがペン・筆と文字であるように、キャメラがなければ映画は出来ない。
(もっとも最近は、キャメラなしに、直接コンピュータ上にデータを生成させることも可能になっている。知らぬわけでもない。紙も筆も使わず、直接タブレットに描く漫画家が普通に居ることも承知している。けど、今日は除外。)
仕事を始めた頃、キャメラは重くて大きくて高かった。それがベラボーに発達・進化して小型安価で高性能になった。真に心から(芯から)喜ばしいことだ。けどあまりにあふれありふれたがゆえか、安易・安直に扱われ、ぞんざい・おろそかになってはいないか。キャメラの意味・重大性が軽視されてはたまらない。もう少し大切に扱った方が良い。
有り難い出来事も美しい光景も達者な演技者もキャメラがなければ映らない写せない。畏れ崇め奉っても罰は当たらない。映ること写されることを低く見積もってはいけない。無茶・無謀・無鉄砲は認めても、無礼はダメだ。