2ペンスの希望

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あと一歩がたとえ大きく遠くとも

ちょっと前、アバウト苦手、指示待ち社員のことを書いた。
昨日、27年勤めた読売新聞社を2015年6月 辞めて独立記者となった加藤隆則さんが、インタビューに応えているのを読んだ。
若い連中なんかは「どういう記事を書いたらいいんですか」とお伺いを立ててくる。指示をすると、実にうまく記事を書くんです。別の指示を出すと、またそのとおりにうまく書いてくる。一方で、何を書きたいのかというのがない。そういう若い子たちが育ちはじめている。」 【月刊誌『熱風』2016年4月号121頁】
 達者で小器用でお行儀の良い若者が増えているのは、映画の世界でも同じことだ。けど、その責任を若者にだけ求めるのでは片手落ちだろう。イマドキの若者には覇気も志も無い、もっと型破りで自由にやれ!と、年長さんが発破をかけるのは容易い。
俺たちの若い頃は‥‥という自慢話も勝手にすればいい。 しかし、だ。
規格外れを認めず、息苦しくさせてきた責任の大半は、年長組にあることを忘れるわけにはいかない。イマドキの若者は神妙に聞く。いや聞いているふりをしてるだけかも。
「達者で小器用でお行儀の良い若者」は、 あと一歩で「化ける」かもしれない。その一歩がとてつもなく大きくて遠いとしても、可能性は閉ざさない方が良い。そう思うがいかがかな、ご同輩。