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八百一番目

橋本治はいつも正しい。少しひねくれているが、圧倒的に正しい。間違いない。間違わない。胸のすく文章に出会ったので、忘れぬうちに書き留めておく。

出典は、橋本治著『熱血シュークリーム ㊤ 』【1982年3月 北宋社 刊】「最も孤独な長距離ランナー  ちばてつや論」158/159頁

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人間、ある程度のとこまで、誰だって行くサ。‥‥(中略)‥‥ 問題はその先なんだよ。その先だって分ってるクセに、みんなテキトーなことを言って降りちゃうんだよ。その先をつめて考えるなんて、メンドクセェこと、しやしねェんだよ。

少年マンガあしたのジョー』のクライマックス、原作:高森朝雄梶原一騎)と画:ちばてつやのせめぎ合いを論じたくだり。

以下の後段は、《 物書き→シナリオライター、絵描き→映画監督 》と置き換えて噛み締めてみたくなった。

 俺は物書きだからね、文章家だからね、著述業だからね、〝言葉なんか信用しねェんだよ〟っていう前提に立って嘘八百だって並べられるサ。――八百一番目に本当がやって来るってこと分ってっからね。でもね、絵描きさんだったらそうはいかない。〝これで通るな〟って文章の常識としては成立した文章が、具体的には何も言ってない文章だったら、そんなものは文章に値しないということは、その文章を絵にする絵描きさんが一番よく知ってる。何故かっていえば、絵は具体的だからね。

「八百一番目に本当がやって来る」ってイイなぁ~その通り!

シナリオはどこまでいっても文字、あくまで文章。映画は絵。具体的でなけりゃ話しにならない。なりようがない。

よく練られたシナリオは前提・必須条件だが、それだけで映画の出来が良くなるわけでは無い。そんなことは皆知ってる。分かってるが、容易じゃない。奥が深い。欲も深い。難儀。厄介。けど、だから、だからこそ、映画は面白いのだ。