2ペンスの希望

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「不思議を感ずる」

岩波映画製作所が、中谷宇吉郎の「中谷研究室」から生まれたことは、ぼんやりと知っていた。ただ、師匠の寺田寅彦の本は幾つも読んできたが、この歳になるまで中谷宇吉郎の本は読んでこなかった。迂闊。不覚。

岩波文庫中谷宇吉郎随筆集』【1988.9.16.第1刷発行】

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どれもこれもベラボーに面白い。末尾の樋口敬二さんの解説もよかった。

ということで、少年時代の思い出を綴った一篇「簪を挿した蛇【初出:『文藝春秋』昭和二十一年(1946)十月】御紹介。要旨を勝手につまみ食いして書いてみる。

 「本統の科学というものは、自然に対する純真な驚異の念から出発すべきものである。不思議を解決するばかりが科学ではなく、平凡な世界の中に不思議を感ずることも科学の重要な要素であろう。幼い日の夢は奔放であり荒唐でもあるが、そういう夢も余り早く消し止めることは考えものである。海坊主も河童も知らない子供は可哀想である。

人間には二つの型があって、生命の機械論が実証された時代がもし来たと仮定して、それで生命の神秘が消えたと思う人と、物質の神秘が増したと考える人とがある。そして科学の仕上仕事は前者の人によっても出来るであろうが、本当に新しい科学の分野を拓く人は後者の型ではなかろうか。科学は、自然に対する驚異の念と愛情の感じとから出発すると考えるのが妥当であろう。そう考えると、反語的な言い方になるが、非科学的な教育ももっと必要になるのではなかろうか。どうも私には、子供の頃から眼覚時計を直すことが好きだったり、機関車の型を皆覚えたりする子供よりも、その逆の型の方が有望なように感ぜられる。

表題の「簪を持った蛇」は、中谷の小学校時代、裏山に棲むと噂された落城亡霊伝説に由来する。子供たちは恐ろしくて誰も皆信じて疑わなかったと書いている。

もうひとつ。師・寺田寅彦との逸話。

ある時「「科学者は木をみて森を見ない」というのは引用マークがついている。誰かの文句らしいのだが」と尋ねた寺田に、中谷が「それはヘッケルの『宇宙の謎』の序文にある言葉で、科学者は木を見て森を見ない、哲学者は森の絵を見て満足しているというのの前半でしょう」とこたえて褒められたエピソードが出て来る。(註:いずれも 太字 引用者) これもはじめて知った。皮肉とウイット。

この本いずれにしろどれもこれも、戦前戦中戦後の時代と暮らしが濃密に浮かび上がってくる逸品ぞろい。おススメだ。

 青空文庫に沢山並んでいてすぐにも読める。ブログの拙い要約より是非全文を!

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