2ペンスの希望

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「風呂敷」から「パッチワーク」へ

関東在住の映画キャメラマンと四方山話をした。

「そういえば、最近とんと風呂敷を使う若い衆を見なくなったね」

「確かに。昔は風呂敷一枚でホントに色んなものを包んだものだったのに。うちの親父なんか一升瓶だって風呂敷で包んでたよ。近頃は一枚の布切れをあれこれ工夫して使いまわすより、用途に合わせて一杯ある選択肢の中から選ぶ方が手っ取り早いってことかな」

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「昔は、物も情報も少なかったし、あるもので何とかしたけど、今はなんでもあるからさ」

「一枚ものしか無かった、知らなかった時代から、多様多彩な世界の拡がりを知るようになって、それを寄せ集めながらつなぎ合わせる時代になったってことかな。我々は「風呂敷」世代だけれど、これからは「パッチワーク」世代の時代なのかな。正直 イイのかワルイのか、羨ましいような羨ましくないような‥ヘンな気分だね」

「まったく」

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 何度も繰り返すが「昔に戻れ」「自然に帰れ」とは言いたくない。前を向いて「新しい自然」を作れば良い。規模やスケール・単位は、時代と共に変わっていくことだろうが、パッチワークを活かした「新しい人為(表現)」が生まれることを期待する。

もっともパッチワークにしろ風呂敷にしろ、それぞれに一枚一枚の布切れを綻びないように縫い合わせるのは、一本の針であり糸である。そして、針の穴に糸を通すことは、いつの時代であろうとどんな社会だろうと結構難しく険しく気苦労のいる道であることに変わりはなかろうが。

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聖書には、「富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」と書かれている、ってさ。