2ペンスの希望

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風と空気

かつて「KY=空気が読めない」という言葉が盛んに云われ非難されたことがあった。場の秩序を乱す不心得者、嫌われ排除されるべき迷惑者というわけだ。和を尊び同質性指向が強い日本社会のあらわれなどと文化論として語られたりもした。組織風土や社会風潮、空気の問題というわけだ。そんな話をしていたら、或る席でこんな議論になった。「「風土」や「風潮」「空気」というのは、改善や対策ができるような(一時的or局所的な)「風」なんだろうか、(私欲や権力や保身が主要素として働く、人間社会に必然的な)「空気」なのか。

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なるほど、「風」は〈一時的 局所的〉だ。「空気」は無しには生きられない〈必然 必需〉だ。「風」なら改良 改善 退避も可能だが、「空気」の方は難しい、逃れられなさそう。けど、「空気」だって変えられる筈だ、管理人は楽観的にそう夢想している。気は遠くなるほど時間が掛かるかもしれないし、一夜明けた変わってた革命・維新もあるかもしれない。映画維新!?

余談をひとつ。

今の女子高生・十代にとってKYは「恋の予感 今夜が山」という意味だそうだ。建設現場や工場ヘルメットの男たちにとっては古くから「KY=危険予知」のことだった、とこれは工場勤務OBの友人から教わった。