2ペンスの希望

映画言論活動中です

三宅香帆さんを下敷きに(二)悩みの相談相手

f:id:kobe-yama:20211217095517p:plain

小説は「タイトルだけではどんな話かわからない」おそろしい商品、博打をしているも同然だ。反対にタイトルから内容が想定できる」のがビジネス書、実用書。あるいは、自己啓発本。まったくちがうジャンルだと思われる小説と自己啓発本だけど。実は、小説も、ある種、自己啓発本と同じ効用があるのではないか。なぜなら、小説も、自己啓発本も、「現在の自分が抱えている、どうにもならない不安」を扱いつつ、それに対して作者が「私はこう考えてるよ、私もがんばってるから、あなたもがんばろう」というものだから。

人生を過ごすのに、不安や、痛みや、苦しみは、避けられない。――小説も、自己啓発本も、これを前提としている。

人生は、悩まされるものだ、と。

ただその悩みの行きついた先に「読者の解釈にゆだねられた結末」があるか、「結末は作者が用意して、それを読者に渡す」のかのちがい。それが分かりやすい自己啓発本と分かりづらい小説の差を生み出している。

どちらにしても、私は、基本的に小説を(そして自己啓発本も)、人生に悩みを抱えている人のためのモノだと思う。私たちが人生で抱く悩みなんて、ひとことでばしっと名付けてしまえるほど単純じゃない。答えはきわめて不明瞭なことが多い。その悩みの正体を綴っただけで終わることもある。本当は問題なんて解決しなくて、だけどそこに問題があることはたしかだ。その状態をタイトルにしたのかもしれない。不親切に見えるかもしれない。もっと分かりやすくうまいタイトル付けろよ、と思うかもしれない。だけど、分かりやすさ以上に、小説と同じ深さの悩みを持った読者に対して、小説のタイトルは、誠実であることが大切だ。(太字強調は引用者)なお 一部適宜割愛アリ 乞う御容赦)

三宅香帆さんは言う。

悩みを抱えているとき、ほとんど唯一、ちゃんと相談相手になってくれるのが小説だよな、と、思っている。

消費目的の気晴らし・エンタメ系は除外して、何がしか新しい世界・知らない世界があることを考えたり感じたりするために本を読んだり映画を観たりする人限定で、話をすすめる。(本当は、気晴らし・エンタメ・勧善懲悪・痛快娯楽・ハッピーエンドだって、悩み解決には至らずとも一時的な悩み回避程度には役に立つ。そんなことは読者・観客が決めること。それでいい。)