2ペンスの希望

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春樹メール(映画『ドライブ・マイ・カー』を巡って)

村上春樹はどこかで「SNSみたいなものは何一つやらないので‥」と書いていた。自作原作映画についてはあまりコメントしないと思っていたら、クーリエジャポンで、こんな記事を見つけた。

「映像化に向かない」ハルキ作品をめぐる映画化への挑戦 米紙が絶賛「映画『ドライブ・マイ・カー』は濱口竜介監督の新しい傑作だ © 2021The New York Times Company】

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Photo: Ali Smith / Eyevine

村上春樹のメールだ。

最初に3時間の長さのフィルムになったと聴いたとき、あの短編小説がそんな長い映画になるということがとても信じられなかったのだけど、実際に映画を観てみると、時間の長さはまったく気にならなかった。最初から最後まで引き込まれて、時間が経つのも忘れて観てしまった。これは、ただそれだけでもずいぶん素晴らしい達成だと思う。

僕は試写会というものがあまり好きではないので、近所の映画館に行って、切符を買って観たのだが、朝の最初の回からかなりの数の観客が入っていたので驚いた。これもひとつの大きな達成と言ってもいいだろう。最近はほとんどがらがらの映画館しか目にしていないので。

僕がこの映画の中でいちばん感心したのは、登場人物が語りすぎないところだ。彼らはおおむね無口だ。しかし語るべきことはきちんと語っている。そういう映画はなかなかない

他にも興味深いコメントがあった。

映画化に関しての僕の希望は、筋や台詞をできるだけ自由に変えてもらいたい、ということだ

小説の話の運び方と、映画の話の運び方との間には大きな違いがある。小説の登場人物が語る言葉と、映画俳優が実際にしゃべる言葉との間にも、大きな違いがある。映画作家は、小説の方法論に対抗できるだけの、映画的方法論を用意しなくてはならない。原作を忠実になぞって映画を作ることは、逆に『原作にあまり忠実ではない』ということになるかもしれない。大事なのは原作の精神を捉えて、それを映画的に作り替えることであって、そのまま映像化することではない

大学では映画演劇科を専攻していたので、シナリオや戯曲はずいぶんたくさん読んだ。本人はそれほど意識していないが、その影響は──おそらくは無意識的に──けっこう強いかもしれない。文章を書きながら、そのシーンを頭の中で思い浮かべるか? もちろん思い浮かべる。それは僕にとって、小説を書くことの喜びのひとつだ。自分だけの映画を、自分だけのためにこしらえていくこと。

短編小説『ドライブ・マイ・カー』を書いているとき、僕が頭に思い浮かべていたのは古いサーブのコンヴァーティブルだったので、映画で屋根付きのサーブが出てきたとき、最初のうち少しばかり違和感があった。すぐに馴れてしまったけど

ニューヨーク・タイムズの記者は、濱口竜介監督にもインタビューしている。

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私が真に考えているのは、どんな人でも内に秘めている『謎』なのです
ある登場人物が、その謎めいた感覚を与えることができたなら、そのとき、その人物はもう、非現実的な存在とは感じられなくなります。彼らは現実に存在しはじめるのです。登場人物が何らかの方法で、自らの謎を感じさせることができるとしたら──私にとって、それこそが、物語に取り組むことの真髄なのです

濱口映画『ドライブ・マイ・カー』は、ニューヨークタイムズが選ぶ2021年映画ベスト10の7位にランクインしている。