2ペンスの希望

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詩的な言葉 と 詩そのもの

最果タヒの本『神様の友達の友達の友達はぼく』からもうひとつ。

詩的な言葉と、詩そのものって、全く違うと思う。(詩的な言葉って)人それぞれが過去に見つけた「詩性」に訴えかけたりするんだろう。(略)「夕焼け」「海」「光」「くれよん」とか、(略) この辺並べてたらちょっと詩っぽくなるんやけど、それは「詩的な言葉」の羅列でしかないのや。読んだ人の記憶の再生装置としてしか機能しないのや。その人が見たかなしい夕焼け、その人が見た美しい海。詩というのは、その人が気づいていないものや、知らなかった感情を、そのなかにさしこんで、すべてを変えてしまうような、正直「怖い」ものだと思う。記憶を再生している間は、とてもここちよく、そうしてああ私、それ、わかるなあ、と思える。その体験はとても楽で安心できるものなんだけれど、私は詩を読んだ時の「わかんないのに、なんか、ぐっときてしまう、怖い」みたいな体験の方が好きなので、やっぱり書く側として、そっちを目指したいんだなあ、きみの、脳そのものを貸してくれ。親切で丁寧で、ただ気持ち良い言葉の羅列なんて、ごめんですよ。そんな優しさ、私にないよ。

同感だ。

映像美と映画は全くの別物。

映像美の羅列なんてまっぴらごめん。映画もまた「怖い」ものだと管理人は思ってる。なめてもらっちゃ困る。