2ペンスの希望

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使いたくない言葉

ふだん使わない・使いたくない言葉がある。「映像的」「映像美」‥‥なんだかいかがわしくてイヤだ。なにやらゆかしく価値ありげで、いかにも良いことのように称賛している誉め言葉のようだけれど、これって「ほとんど何も言ってない」じゃん、ずっとそう思ってきたら、最近こんな文章に出会った。

私たちは「詩的」という言葉が好きです。詩的な装い。詩的な言い回し。芳香剤のようなもので、「詩的」とつけるだけでちょっといい感じがする。でも、私は「詩的」という言葉を耳にすると警戒してしまいます。「詩的」という形容にはむやみに気安い心地よさが塗りこめられていて、言葉としての威力が失われているように思うのです。

「詩的」という言葉はインフレ気味に乱用されてきた。

阿部公彦さんという東大教授の文章。

2014.2.20. 東京大学出版会

「詩的」⇒「映像的」「映像美」に置き換えて読み直してほしい。

「詩的」という言葉に本来の意味を取り戻してもらいたい――

そんな願いをこめてこの本を書いた阿部さんの文章は、こう続く。

「詩的」という形容はちょっといい感じのことを示して終わるようなものではなく、私たちが世界とかかわるときの、ただならぬ緊張感や興奮を呼び覚ますことができるものです。ムードや感情だけでなく、私たちの精神全体がどのように機能するのか示すことができる。

そうすると、私たちと世界との関係がちょっと違って見え始めます。それは世界との付き合い方が変わる契機でもあります。

せっかく見た映画、「映像的」「映像美」というインフレ芳香剤言葉で済ませる怠惰・怠慢は赦したくない。もっと貪欲に仔細に「映画の養分」を消化・吸収して、血肉化しないと、もったいない。