2ペンスの希望

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「手あたり次第」が一番

きっと芸達者な人なんだろうなぁと思いながら、遠ざけてきた町田康さんの新書『私の文学史 なぜ俺はこんな人間になったのか?【2022.8.10. NHK出版新書】を読んだ。NHK文化センター青山教室でのトークを元にした本だ。

「自分語りはみっともなくって気恥ずかしい」と語りながら読書遍歴や創作の裏側を語る。らしいなと思いながら読んでたらこんな箇所に出会った。

いつも訊かれることがあるんですよ。「文章うまくなりたいんですけど、どうやったらいいんですか」と。「本を読む以外には何もない。それ以外はない」と言うと、「それだけはやりたくない、絶対に読みたくないです。」と言われるんですが、でも、それしかないんです、本当に。そう言うと、「またあ、ケチ」と。いや、ケチじゃなくて、本当にそれしかないんです。そうしたら、「石牟礼道子は本を読まなかったと渡辺京二が書いてます」と言うから、そんな特殊な、世界に一人みたいな例を出さんといてくれと。そうでなくて。何がカッコええかというと、そういうことなんです。

つまり、音楽でたとえると、演歌も聴いているし、民謡も聴いているし、ロックも、ジャズも、クラシックも、民族音楽も全部聴いた上で、その一個ずつを知識的に知っているんじゃなくて、自分の体に飛び込んで楽しんで聴ける人が、「これ、いいよね」と言うのと、一個のもの、その歌、そのバンド、その友達しか聴いていないやつが「これ、いいよね」と言うのとは違いますよね。「いいよね」と言ったときの選択したものから落ちた数が違いますよね。

もっと感覚的なことで言うと、五百円のワインを飲んだこともあるし、十万円のワインを飲んだことがある人が、千円のワインを飲んで、「これ、おいしいね」と言うのと、五百円のワインしか飲んだことがない人が千円のワインを飲んで、「これ、おいしいね」と言うのとでは違いますよね。

そういうふうに、何をカッコええと思うかとか、主観やから、「俺、これ、好きやねん」と、わりと簡単に言いますけど、「俺、これ、カッコええと思う」と言うのは簡単なように見えて、実は、本当はすごく恐ろしくて、すごく難しいことなんだよというのが一つあると思います。だから、「これ、ええねん」とかいうは、自分はいったい何をもって「ええ」と言うのか、お前の感覚はどれほど研ぎ澄まされた感覚なのかというのは、常に自分に問うていないと、「自分は、これはカッコええと思う」と言えないと思うんですけど、「俺は、自分がカッコええと思うことを信じでやり続けるだけやねん」と言うているやつがおったとしたら「あかんで」と、「もうちょっと疑ったほうがいい。ちょっと自分と自分のセンス信じすぎやで、君」と。

映画だって同じこと。感覚を研ぎ澄ますためには浴びるように見るしかない。早々に視野を絞り好みばかりを追いかけていると、胃袋は大きくならず鍛えられもしない。

出版時の販促キャンペーン「産経新聞のインタビュー」で町田さんはこんな発言もしている。

目的も考えずにあらぬ方向に行きながら、たまたま今の結果がある。だから、『効率』とか『最短距離』とかは意識せず、本を読むにしても手当たり次第に読んだらいいんじゃないでしょうか。