2ペンスの希望

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立ち位置

先回は本『「私のはなし 部落のはなし」の話』の本筋とは別の端っこ どうでもよい無駄口 馬鹿話 をした。今日は 本線の話。

著者の満若勇咲さん 36歳(2023年4月現在) の本業は、TVドキュメンタリーの撮影だ。

撮影の仕事を始めて、ドキュメンタリーの撮影でもっとも基本的で大事なことは、カメラワークでも構図もなく、「どこから撮るのか?」つまり立ち位置であることを学んだ。その瞬間、出演者との関係性のなかで、どの距離感で、どこから見るのか。これは単に近ければいいとか、そういう問題ではない。撮影者がどこにいることを受け入れてもらうのか? 立ち位置は、単に良い画が狙える、という作り手側の都合ではなく、被写体との関係性、その状況、演出の狙い、など現実の複雑な要素が絡み合って決定される。「どこから撮るのか」はドキュメンタリーを作るうえで根源的な問いなのだ。(86頁)

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ドキュメンタリーは常にだれかを「視る」行為であり、被写体が何者であるかは作り手が決定する、という構造から逃れることはできない。しかし同時に、被写体は常に作り手が何者であるかを「視て」いるのだ。(88頁)

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たとえば、当事者に寄り添う優しい映画を目指すことも可能かもしれない。けれど、寄り添うという行為は振る舞いの一つであって、立ち位置ではない。振る舞いは、その瞬間、瞬間で変化する現場でのリアリズムの話だ。部落問題との関係性は変わらない。他者性を起点に考えれば、優しさや思いやりといった、表面的なもので己の立ち位置を誤魔化すことはできない(89頁)(太字強調はいずれも引用者)

「立ち位置」=「覚悟と責任」:社会的な主題、人物ドキュメンタリーを撮るひとには忘れないでもらいたい「基本中の基本」だ。