少し間、『にほんのうた』になぞらえて映画のことを書いた。
やっぱり、あらためて思う。
映画は「一般に思われているほど単純でもなければ、熱心な研究者が評価するほど高尚なものでもない。」(©北中正和)
そもそもの出自が見世物・興行として出発したのだから。
持て囃されて有卦に入り、大いに儲かった時代が永らく以上に続いたのも事実だ。けど、時代とともに、うたも映画も変わっていく。かつての歌謡曲・はやり歌・流行歌の世界はもはや流行らない。変化は世の常・浮き沈みは世の習い。音楽も映画もいまや盤の時代は遠く去り、ダウンロードやストリーミングといった定額制配信サービスがメインストリームになりつつある。
日本の映画もそろそろ本気で新しいビジネス・モデル、役割分担を考えてみる必要に迫られている。
音楽も映画もかつては大規模分業・工場生産だった。いってみれば、
脚本家 ≒ 作詞家
監 督 ≒ 作曲家・編曲家
スタッフ≒演奏者群(小編成コンボからビックバンド、フルオーケストラまで)
主演スター≒歌手(うたいて)
といった感じか。
この数十年で、技術の劇的進化はコストダウンを促し、事業のあり方は激変した。
音楽も映画もいまや一人で何でもこなすオールマイティ・シンガーソングライターは当たり前、気の合った仲間内で路上ライブから始めインディーズを経てメジャーデビューを果たすスタイルも定着している。もとより、それが玉石混交を通り越して液状化を招いているとの指摘もある。確かにその通りだろう。
先の『にほんのうた』にはこうある。
「精緻な工芸品のようなのもあれば、乱暴でつじつまのあわないのもある。やまっ気や打算もつきもの。にもかかわらず、ときには打算を越えた魅力を持ったものが生まれてくる。」(©北中正和)
時計の針が戻らないかぎり、過去を振り返り昔を懐かしむばかりでは未来は拓けない。製作だけでなく、配給・興行の世界も、新しいビジネスの形を育てる必要があることはこれまた確かなことだ。今一度、音楽ビジネスの変遷と未来像に眼を凝らして映画の明日を考えねば‥そう思いませんか、とりわけ業界の皆さん。