XX:日本にいちばん足りないのはプロデューサーだとわたしは思っています。
XY:注文する人ですね。
XX:XYさんがうまく表現しておられたように、「種を自分のなかで育てる人」です。プロデューサーって何って誰かに説明するときには、プロデューサーというのはどんな無能なあなたにもできるんです、と言うんです。プロデューサーに必要な能力は有能な人を使う能力。あなた自身が有能である必要はないんですと。
XY:そのとおりですよ。
XX:そのとおりなんですが、その能力はたいへんえがたい能力というか、必要だけどたくさんはない能力なんです。自分では絵も描けない、歌も歌えないかもしれないけども、誰にどういう人材があって、どの人とどう組み合わせればどういう化学反応が起きるかということを見きわめる能力というのは、やはりどこにでもある能力ではなくて、かつ必要だが絶対的に足りない人材だとわたしは思っています。
XY:この間、監督ができなかったからプロデューサーにまわるという人が多かった。
XX:それって完全にカン違いですよね。
XY:そう。その人たちが一掃されるのにまだ時間がかかる。
XX:まだいるんですか。
XY:いますよ。
XX:そんなにたくさんいるというほど。
XY:いっぱいいますよ。今の多くのプロデューサーは本当は自分が監督をやりたいんだけれど、仮の姿としてプロデュースにまわっている。プロデュースだったらできるから、という人が多い。
XX:それは思い違いだと思う。
XY:自分のことを客観的に言ってしまうと僕は監督なんてやりたいと思ってないんです。監督をしたいわけではなくて、それでいて、プロデュースをやるという人が出てこない限りだめなんじゃないですかね。僕はそういう気がします。
XX:そういう人は育っていますか。
XY:ある環境を与えると育つんですかね?
XX:プロデューサーって教えることができる能力ですか? これはぜひ聞きたいな。XYさん自身は人の背を見てプロデューサー業というものを体で学んできたと言っておられます。こういう能力って「人材育成」できるものでしょうか。
たとえばわたしは、教師として問いを解く仕方は教えられても、問いを立てる能力は教えられません。それは教育にできることではないです。自分に教える能力があるかどうかじゃなくて、その能力は教えられる能力なのかどうか、が知りたい。どう思いますか。
XY:難しいな、僕は自分に照らし合わせてしまうので、
XX:自分の経験から言ってください。他人の経験なんか聞いてませんから(笑)。
XY:難しいですね‥‥‥。できない。
実はこれ、XX:上野千鶴子センセ XY:ジブリの鈴木敏夫P のやりとり(例によって一部割愛、太字強調は引用者)
出典は⇒『思想をかたちにする 上野千鶴子対談集 』【青土社】大元は『AERA』2014.8.11,増大号
面白く読んだ。この本 他にも、ジブリは、「寂しがり屋でストイックなマザコンオタク技術者 と 頑固一徹ヒネクレ者学者 と 小心なばくち打ち軍師」のトライアングル・チームプレイだといったお話も出てくる。(例によって、極論・曲解が混合してる ゆえに 要取扱注意)