2ペンスの希望

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両義性

70年前に作られた映画を今の時代に見る。例えば、瀬尾光世脚本演出『桃太郎 海の神兵』
総制作費27万円(今の貨幣価値換算では4億円)。セル画5万枚。海軍省後援、大本営海軍報道部指導による れっきとした戦意高揚アニメである。

桃太郎 海の新兵 デジタル修復版

その後の歴史的事実を知っている我々にとって、評価はいかようにも成り立つ。
ちょっとネットを叩いて、検索してみると、「戦時下に作ったとは思えない完成度」「叙情性と機知にあふれ、国策映画という以上の内容の豊かさ」という評価の一方で、「植民地侵略、皇民化教育をほめそやすのはいただけない」と批判的な論調も見える。
ある大手新聞の記者さんはこう発言している。
「この大変にナマ臭いというかキナ臭い題材が、とびっきり明るく朗らかな音楽により実に楽しいシーンとなり、背景が分 かっていながら「どうぶつさんたちかわいいなー、ちからをあわせてえらいなー」とつい思ってしまう。ギャップにクラクラすると同時に、文化の持つ力(危うさも含めて)にドキリとさせられます。
この逆説というか矛盾というか、肯定と否定を同時に抱え込むことが、今この映画を見る醍醐味です」
朝日新聞デジタル小原篤のアニマゲ丼「海の神兵」を知っていますか】
肯定と否定を同時に抱え込むこと」への言及が眩しい。
映画に限る話ではないが、それぞれが生きる時代に則してしか人は見ることが出来ない。それでも時代を超えて伝わるものがある。それが古典とかスタンダードナンバーと呼ばれるものなのだろう。
古びない、匂いたつような芳香を放ち、揺さぶられるような咆哮に満ちている。得がたい宝幸と呼ぶしかない。

それにしても、『映画の〈両義性〉』はどうだ。反語、二律背反、その両論併記、矛盾を矛盾のままゴロンと投げ出すことも、秘めやかに爆弾を仕込むことも出来る『映画の〈融通無碍〉』には驚かされる。それもこれも、ウデあってのことだが‥。
(ウデなしのエエ加減は、無視するしかないが、それでも蓼食う虫は いるだろう)

映画を見ること。その究極は、唸ることなのかも知れない。