2ペンスの希望

映画言論活動中です

グローブ2

昨日の続き。
仮に、カメラが銃ではなくグローブだとするなら、「映画」はどうだろうか。
映画は、武器か、道具か、教科書か、触媒か、覚醒剤か。それとも誰かのなぐさみものなのか?ひとつでなくとも勿論構わない、全部、それが魅力の源かも‥。
映画の教育的エネルギーの高さについては以前も触れた。映画は効く。だから、プロパガンダアジテーションの道具にも成り得る。のべつ青筋立てて、教条をガナリたてなくとも、気付かぬうちに毒が回っている、我に返った時には映画のとりこになっている、そういうことも十分ありだ。真綿で首をしめるものあり、意外などんでん返しあり、ピンポイント・虫ピンで急所を一刺しもあり、スタイルは様々。こんなに融通無碍、何でもありのはずが、なぜこうまでイデオロギー丸出し、生煮えで芸のない映画が多いのだろうか。過剰な上すべりは暑苦しいだけだ。映画的面白さゼロは情けない。
もっとスマートに、もっと淡々とした新しい時代の新しい語り口の映画が、もうそろそろ登場してきても良さそうだ。フィルムの時代とは異なるデジタルの時代の新しい表現論・新しい演出手法が見たい。
拙が知らないだけで、既に登場しているのかもしれない。が、残念ながら届かない。
これだけインターネットが普及し、情報が溢れかえる中、光が見えない暗黒時代が続く。そう感じている。過去それなりに頑張ってきただろう評論家諸氏も息切れしたのか絶望が深い。元気がない。映画ジャーナリズムの衰退はいかにも痛い。紹介や感想や好みの陳列・シューケースだけではお粗末すぎる。
みんなバラバラ、勝手に騒いだり、盛り上がってしてるだけではもったいない。