2ペンスの希望

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こどもの自由

1954年刊行の岡本太郎『今日の芸術』にこんな一節がある。
芸術が特殊技能をもつ名人にしかできないものではなくなくなって、だれでもが作れる、ほんとうに幅ひろい、自由なものに変わってきた、その点にこそ革命の 実体があるのです。だが、「だれでもが作れるものになった」と言っただけでは、まだ不十分です。私はもう一歩これを進めて、これからは、「すべての人が描 かなければならない」と主張します。専門家、門外漢、しろうと、くろうとなんて区別は現代芸術にはありません。人間的に生きることに「専門家」がいないと 同じように、すべての人が、創造者として、芸術革命に参加するのです。夢物語だと思ってはいけない。すでに、その段階に達しつつあるのです
半世紀を経て、映画もそうなってきたのかもしれない。しかし、同じ本の中で太郎さんはこうも述べている。
子どもの絵は、たしかにのびのびしているし、いきいきした自由感があります。それは大きな魅力だし、無邪気さにすごみさえ感じることがあります。しかし、よく考えてみてください。その魅力は、われわれの全生活、全存在をゆさぶり動かさない。――なぜだろうか。
子どもの自由は、このように戦いをへて、苦しみ、傷つき、その結果、獲得した自由ではないからです。当然無自覚であり、さらにそれは許された自由、許されているあいだだけの自由です。だから、力はない。ほほえましく、楽しくても、無内容です

子どもの絵に全存在をゆさぶる力はない。その通〜り。
無自覚・無内容な表現より、計算高さやいやったらしさも孕んだ〈生々しい大人のリアル〉にこそ出会いたい。