2ペンスの希望

映画言論活動中です

「超」より「過」「極」

荒唐無稽・支離滅裂‥訳が分からなくて現実離れしているものに出会ったとき、言葉に困って「シュールやなぁ」とお茶を濁したことはないだろうか。「私には、意味よく解かりませんけど、常人・常識を超えて何やら良さげ」といったニュアンスの褒め言葉として。

数年前、或る方からこんな話を聞いた。

「超現実」を「現実を超えた非現実」と捉えるのは大間違い。
[ sur ]を「超」と日本語化したのがそもそも間違いの元。
フランス語の [ sur ] は、もともとラテン語語源の super ultra に由来する言葉、ギリシャ語では hyper を意味する。つまり、

[ surréalisme ] は、「現実にはありえない→非現実」ではなく、

「過度な現実」「過現実」(本当の現実)とか「極現実」(極め付きの現実)とでも訳すべき言葉だった‥。

以来、管理人は、[ surréalisme ] は

「超現実主義」ではなく「過現実主義」「極現実主義」と置き換えて理解するようになった。

 f:id:kobe-yama:20190214104253p:plain ⇒  f:id:kobe-yama:20190214104419p:plain f:id:kobe-yama:20190214104527p:plain

 

現実の奥にある現実ー芸事の世界にある「守破離」に通じるものを感じる。

型を「守る」ことからはじめ、やがて型を「破り」自分の型を作り、さらに自分の型にも囚われず、型から「離れて」自由になる。

 昔、昭和の教育者・無着成恭さんはこう言っていた。

型がある人間が型を破ると『型破り』 型がない人間が型を破ったら『形無し』

 

型破りはそれなりに眩しいが、形無しでは情けない。

形無しをシュールなどと甘やかしてはいけない。