2ペンスの希望

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三宅香帆さんを下敷きに(十四) 正しい読解なんて存在しない

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元日は、三宅嬢本を下敷きにした映画観客指南 最終回。

結局みんな、小説を通して、自分の物語を読んでいる。

必ずただしい読解なんて存在しない(まちがった読解はあると思うけど。)」

そこにあるのは、自分にとっていちばん面白い読解、だけだ。

その通~り。

各自、自分勝手に読めばいい。観ればいい。願わくは、数多く、手当たり次第に。それが一番なのだが、そんな時間もお金もないよという後輩諸君にロートルと三宅嬢本から、とっておきをひとつだけ。

1)古典を読む 

2)古典の解説をしているプロを複数見つける **

3)プロの解釈を楽しめば古典は百倍おいしい! ***

 

*千年以上の歴史を持つ文学に比べれば映画の歴史は百年余り。それでも『源氏物語』や『奥の細道』に匹敵する映画の古典は存在する。出来れば出来るだけ古いものから選んで見て行くことをお勧めする

**プロには要注意。まがい物も混じる。日本人の中なら、間違いないのは、淀川長治さん(だと思ってる)

***鵜呑み丸呑みは避け、受付ない解釈は無理に飲み込まず、眉に唾してスルーする。ご自分の直観・違和感を御大切に。

 

さて、新らしい年が始まった。

「新らしい年とは絶えず新らしく来るものに

会うことであります」

小説家・田中小実昌の父で独立教会「アサ会」の牧師であった田中遵聖さんのことばだ。気に入って年賀状に拝借した。

「新らしく来るものに」出会うため、倦まず弛まず、当ブログ今年も続けるつもり。