2ペンスの希望

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勝負師 研究者 芸術家

棋士は「勝負師」と「研究者」と「芸術家」の三つの顔を持つべきだ、というのが私の年来の持論である。谷川浩司棋士の言葉。将棋の世界ではつとに有名な言葉だ。映画の世界にも当てはまりそう。先人の歴史をつぶさに「研究」し、自らに固有の表現(手数?)「芸術」で「勝負」する。そう思っていたら、こんな対談を見つけた。丹羽宇一郎さんと藤井聡太さんの対談『考えて、考えて、考える』【2021.8.26. 講談社 刊】

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丹羽    谷川浩司さんが、将棋の棋士には三つの側面がある。研究者であり、勝負師であり、芸術家であると、著書に書かれているそうですね。谷川さんが言う芸術家というのは、とくに詰将棋の創作においてのことのようです。藤井さんは詰将棋の創作もされています。この三つの比率なんですが、藤井さん自身は、どのように自己分析をしていますか?

藤井    うーん、自分のイメージでは、研究者7、勝負師2、芸術家1という、7:2:1ぐらいかなと思います。

「研究者が7」には驚いたが、自己分析はその通りなのだろう。「勝負師」や「芸術家」はあとから付いてくる。藤井さんにとって何より大切なのは「研究者」としての探求・自己研鑽

時代と歴史の蓄積の中で、棋士の実像もイメージも変わる。棋士でいえばかつての(坂田 大山 升田らの)「真剣勝負に臨む剣豪・勝負師」といったイメージから(中原 谷川 羽生を経て、豊島 渡辺 藤井らの)「知的でスマート・高度なマインドスポーツを展開する頭脳集団」へと。

映画監督だって同じこと。メガホン片手にサングラスでディレクターチェアにふんぞり返ってる監督なんてどこにもいない。「研究第一」「考えて、考えて、考えること」を第一にしているはず。ゆめゆめ間違ってはいけない。勘違いしてはならない。

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