2ペンスの希望

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『よもだ俳人 子規の艶』

夏井いつきと奥田瑛二の共著『よもだ俳人 子規の艶』【2023.9.30. 朝日新書924 朝日新聞出版を読んだ。拾い物だった。

よもだ」というのは伊予の言葉で「へそ曲がり」というか、「わざと滑稽な言動をする」というか、そんなニュアンスだ。と夏井さんは書いている。天野祐吉さん松山市立子規記念博物館名誉館長だったらしい。知らなかった。)は「ソッポを向く人」「反骨の精神をおとぼけのオブラートでつつんだような気質」と書いていることも紹介されている。教科書でもおなじみの子規の横顔写真も、「よもだ ゆえの所業」と説く。

そう云われて見れば、そう見えなくもない。三十四年の長くない生涯におよそ二万五千もの俳句を残した写生句の巨人・正岡子規。その中に遊里や遊女を詠んだ句が多くあることも知らなかった。この艶俳句に焦点をあてた三夜の対談本である。めっけもの。おすすめ。サクサク読める。とはいえどーでもいいようなことも混じるが‥奥田瑛二の本名が安藤豊明で、瀬戸内寂聴から「寂明」という俳号を頂戴したこともある俳句詠みだったことも初めて知った。俳優で俳句を詠む人はたくさんいる。成田三樹夫渥美清小沢昭一‥‥、最近では、梅沢冨美男も句集を出していることはご存知の通りだ。

〈第二夜〉東京 から一個所 引用。

現実と妄想の混沌、虚実混在のなせるわざ‥といったくだりを受けて

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夏井映画監督と物書きとでは違いを感じてるの?

奥田違いがあるとすれば、映画監督は「より、リアリスト」なこと。独自な世界観(=妄想)は持ちながらも、目に見える現実からどうしても離れられない。というのも、映画監督は役者と観客をつなぐ橋渡し役だから。映画監督が現実と乖離してしまうと、作品が破綻してしまう。一方、小説の世界は、登場人物の脳内を「私は~と思った」で描写できてしまう。それが小説の力です。だから、物書きは万能だなと。

夏井:(物書きのほうは)目に見える形にしなくても、脳内で知らない現実を味わわせることができるんだ。

さして目新しいことが書かれているわけではない。ただ、「映画監督は役者と観客をつなぐ橋渡し役」という定義は、役者兼業の奥田ならではの視点だろう。

対談はこのあと奥田が尊敬する大先輩の名優さんとのエピソード「オオカミ少年」と「全部嘘」に続くのだが、あとは勝手にどうぞ 読んでみて‥。