2ペンスの希望

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「私はもう旧いのだろうか」

少し前だが、大阪芸術大学の映像学科の前学科長大森一樹の『わが心の自叙伝』という本にこんなことが書いてあった。

大阪芸術大学の映像学科長に就いて二十年近くになるが、ここ最近、映画はあまり見ないけど映画監督になりたいという若い人が少なからずいることに驚かされる。どんな映画が好きかと聞いても、特にないのである。正直に申せば全く理解できないのだが、私はもう旧いのだろうか。

映画は、その昔、大の大人たちが寄って凝って技を磨き苦心惨憺・切磋琢磨して作られてきた。やがて或る時 浴びるように見どっぷり浸かってきた映画青年・映画小僧・映画小童たちが出没、時代の幸運にも恵まれながら大手を振って活動した時代がしばらく続いた。が、それもとうに過ぎた。いまや、陽の当らぬ隅っこに追いやられて気息奄々(註:邦画バブルだとかアニメ人気なんて白々しい嘘八百‥大森前学科長とほぼ同世代の管理人はそう思ってる。なのに WHY??

映画が好きでも心動かされた何かがあるわけでもなく、映画では食えそうもないことはますますはっきりしてるだろうに、彼らの「映画監督」になりたい願望の根っこには一体何があるのだろうか?

本気で訊いてみたい。もしかしたら昭和生まれの旧人には見えない闇の中に《映画の未掘の鉱脈》を感知してるのかもしれない。

「いや何 ただ「監督」って呼ばれてみたいだけ、だってエラそうでカッコいいし気持ちよさそうだし‥」そんな薄っぺらな答えしか返ってこないのかもしれない。それでもいい。万に一つでも《新しい映画のポテンシャル(潜在力)》の発芽につながるなにか・予兆がうっすらとでも透けて見えてくれば‥御の字、かと。