2ペンスの希望

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「現実」と 嘘

東京神楽坂で「コ本や」というブックショップ兼オープン・スペースを運営するアーティスト青柳菜摘さん(1990年生まれ)のこんな文章を読んだ。

子どもの頃から、実写の映像はぜんぶ嘘に見えてイヤだった。だから、チャンネルをコロコロまわしてはアニメを手当たり次第に見ていた。今もそうだ。わたしにとって、アニメは見るべき「現実」なのだ。アニメで知った現実にはすべて実感があった。(中略) 作者の手によって、撮影されたのではなく作られた映像としてのアニメは、その手という身体が得た感覚を間接的に画面に表現する。反対に、実写のなかで物語られる現実は現実離れしていて見るに絶えない。現実「みたい」に見せようとするからだ。(中略) 嘘ではないのに、嘘をついているように見える。【「おとぎ話と歪な現実」現代思想2023年10月臨時増刊号:宮﨑駿『君たちはどう生きるか』をどう観たか】

もうひとつ。

専修大学教授 ハーン小路恭子さん(1975年生まれ)。専門はアメリカ文学・文化。

アニメーションの「絵」には本質的に、作り手の意図しないものはひとつも描かれていない。自然なもの、偶発的なものは何ひとつ含まれていないのだ。原理的にはこの世界に実在する対象を写し取る実写のカメラアイとは違い、伝統的にアニメーションは無からすべてを創造してきた。それは生きているはずのない線やかたちを動かし、生を持たない(inanimate)ものを活性化(animate)することによって世界を生み出す虚構のジャンルだ。【「『君たちはどう生きるか』、あるいは活性化された世界のアニメーション表現」現代思想2023年10月臨時増刊号:宮﨑駿『君たちはどう生きるか』をどう観たか】

管理人はアニメーション映画は苦手だ。もっぱら実写映画を好む。

実写映画には、常に不自由が付きまとい、必ず予期せぬことが起こり、良からぬもの・余分なものが混ざる。比べて、アニメーション映画には余計なものは入り込まない。この上なく衛生的なつくりが可能だ。ただ、この「無菌室」にはいまひとつ気持ちが乗らない、というのが正直なところだ。否定してるわけじゃない。別物だということ。面白いとは思うが退屈なのである。