2ペンスの希望

映画言論活動中です

2012-01-01から1年間の記事一覧

文法と文体

主題より手法が大事。そう書いた。そこで今日は、映画の文法と文体の話。 といっても、映画屋の端っこにぶら下がっているだけの身では、荷が勝ちすぎる。手に余る。ということで、有名な小津安二郎の文法論を紹介する。●小津の発言 「文学の場合の“文法”とい…

内容と形式

内容なのか形式なのか、主題なのか手法なのか、ナカミなのかカッコなのか、 素材なのか料理法なのか、‥‥永遠に片が付かない課題なのかもしれない。 二分法そのものが駄目なのかとも思う。 どちらか一つを選ぶという発想がそもそもの間違いともいえそうだ。 …

運動と活動

何処かの国の映画評論家が、評論家の肩書きを返上して、映画運動家を自称し始めたらしい。三つの点で違和を覚えた。 第一。 そもそも、映画を評論することには、映画の現状を変革しようという「運動」的な視点とアクションが含まれるものだと思っていた。なの…

以下と以外

映画以下と映画以外が大きな顔をして表通りを歩いている。 そんな時代が続いている。 映画以下とは、映画になっていない代物、映画にしようという意識と意欲はあるものの、何かが足りなくて(何もかもが足りなくて‥というのもある)残念ながら映画になっていな…

見る力②

見易くなったのに、見なくなった話。 今日は「作る側」の「見る力」の話。 先夜、或るニュース映画カメラマンから聞いた話。撮影歴四十年。 その受け売りから始める。 昔は大変だった。フィルムの時代、電動モーターが付く前のムービーカメラは手動だった。…

見る力

あと十年か二十年もすれば、映画は作る人ばっかりで見る人はいなくなるんじゃないか、そんな思いに駆られる。 作る人はほっといても出てくる。(もっともそれはそれで問題アリなのだが)今日は映画を見る側の話。 拙管理人が育った時代は、映画は映画館で見…

ベストテン

やっぱベストテンなんておかしいと思う。個人で何をどう評価しようともちろん勝手だ。自由にやればよい。とやかく言う筋合いはない。しかし、一年を区切って、映画評論家を名乗る者が年間のベストテンを選んで公表するというのは如何なものだろうか。 だって…

三本立て

ミニシアターと名画座はどう違うのか?正確な定義は知らない。漠然と、ミニシアターは封切り館(痩せて枯れてもご当地初お目見え)、名画座は、封切りロードショーを経ての)二番手三番手上映というイメージを持っている。単館独立系或いは小ぶりな席数とい…

『フラッシュバックメモリーズ 3D』

久しぶりに予告編。 先日書いた松江哲明『フラッシュバックメモリーズ3D』 残念ながら2Dで送ります。とりあえず。やむをえず。

3D

3D そう立体映画。 お恥ずかしい話だが見たことがない。あんなものは子供だまし、コケオドシ、正直そんな気持ちも何割かあって、足が遠のいてきた。昔もシネラマや70ミリという大型映画があった。全天周映画は今もある。見世物としてはそれなりに魅力的だ…

グッドルーザー

グッドルーザーという言葉を聞いた。 スペルはgood loser 英語で、負けっぷりのいい人、潔く負けを認める人を表すらしい。負けて悪びれない人、負け惜しみを言わない人という意味もあるようだ。 英語に弱い拙管理人は、てっきり good looser だと勘違いした…

カウンターカルチャー

先日紹介したS塾長から第二弾を頂戴した。 サブカルチャーではなくカウンターカルチャーの復権を!という呼びかけだ。 確かに、昔は カウンターカルチャーと言う言葉があった。 それが今は、サブカルチャーと貶められている。 カウンターカルチャーという言…

『父と息子のフィルム・クラブ』

16歳の息子が学校に行かなくなった。その時父親はどうしたか。 「学校をやめても、働かなくてもいい。毎日五時まで寝ててもかまわない。ただし、条件がある。麻薬は絶対に禁止。それともう一つ、週に三本、映画を一緒に見る。見る映画はわたし(父)が選ぶ。…

リタイア⇒「時効なし」

気の置けない友人たちと雑談していて、「映画屋にリタイアはあるのだろうか?」という話になった。新藤兼人は100歳で没するまで現役だった。98歳車椅子で『一枚のハガキ』を撮った。老害という揶揄もものかは日本最高齢 世界でも稀有な長寿映画監督とし…

余白

おんぶにだっこ、 ツアーガイドさんが旗を振って懇切丁寧に説明しながらすすむような映画が多すぎる。「いいですか、ここまでわかりましたかぁ、登場人物がこうしたのはこんな思いからなんですよ、遅れないでついてきてくださいね。じゃあ次に行きますよ。」…

さらばリアリズム

映画だからこそゆるされることがある。何をやってもいい。何でもありの荒唐無稽。 原子爆弾を作ろうが、大量殺人を犯そうが、それだけのことでとがめられることはない。自由自在。技法や決まりごとに縛られることもない。どんな風に作っても良い。なのに、窮…

映画館論

ODSというのだそうな。 Other Digital Stuff. デジタルプロジェクターの導入で、音楽コンサートや演劇、スポーツの生中継などシネコンを中心に映画館で映画以外の商品を掛けるようになったことを指す言葉だ。落語や将棋・囲碁の対局プログラムまで組まれ、そ…

観客論

田井さんの文章を紹介したら、早速オマエはどう考えるんだと問われた。 そこで今日は、観客論。 といっても「観客とは誰か」とか「観客とは何か」といった学者センセーの抽象論議ではない。そんなヒマはない。 田井さんは映画館主なので「観客」といっているが…

田井さん

映画のデジタル化について、やっとまともな論文を読んだ。 書かれたのは、1989年から大分市で「シネマ5」という映画館をやってこられた田井肇さん。紹介する。Neoneo web. 【列島通信*大分発】是非読んでみてほしい。http://webneo.org/archives/4818 こ…

S塾長 機械vs人間 複製vs生

小学校の先輩が、大阪のニシナリで五年ほど前から『楽塾』というガッコーをやっている。「学びたくても学べなかった人、もう一度学びなおしたい人たちの学びなおしの場」である。モットーは「あそびを学び、まなびを遊ぶ」 素敵だ。 今日は、ご当人の許可を…

NDU 足・「少数」派・目と目で

数日前に、神戸映画資料館でNDU(日本ドキュメンタリストユニオン)の一員・井上修さんのすこぶる刺激的なトークショーを聞いた。 「ドキュメンタリーとは何か?フットワークそれだけだ。 カメラより先に足が動く、それ以外にドキュメンタリーの必要条件なんぞ…

読む力・聞く力+センス

資本と技術の進化に振り回されるのは、いい加減やめにしたい。 フィルム信仰者、映画館至上主義者の皆さんには申し訳ないが、 時計の針は逆戻りしない。 覚悟の上で、技術革新の成果を取り込み、借り物ではない自前の戦略で来るべき未来を準備するときだ。と…

グローブ2

昨日の続き。 仮に、カメラが銃ではなくグローブだとするなら、「映画」はどうだろうか。 映画は、武器か、道具か、教科書か、触媒か、覚醒剤か。それとも誰かのなぐさみものなのか?ひとつでなくとも勿論構わない、全部、それが魅力の源かも‥。 映画の教育…

グローブ

かなり以前だが、カメラは銃である、と書いた。今日は別の話。 探検家で写真家の石川直樹さんがラジオでこう話しているのを聞いた。 「カメラをグローブのように使いたい。何かを狙い撮りするのではなく、向こうからやってくるものを丸ごと受けとめたい」そ…

下山のガイド

みんな山に登りたがる。 「世に登山のガイドはあまたいる。けど下山のガイドはいない、だからオレがなる」と先輩の一人が引き篭もりの青年たちの相談に乗るようになって十年になる。彼は「下山のガイド」だ。山登り競争から外れて下りる人のためのガイド。実際…

新聞劣化

かなり前のことだが、辺見庸の発言にこんなのがあった。正確には憶えていないので うろ覚えのまま書くが、「全国紙日刊紙の記者は、給料を貰いながら愉快犯とマッチポンプをやっている連中だ」といった趣旨だった。辺見がまだ共同通信の記者と物書きの二束の…

Plan 6 逆転&美=痙攣

機会があって、戦後間もなしに作られた教育映画を何本か見た。その中から二本。 1947年東宝教育映画株式会社のクレジットタイトルで始まる『こども議会』(丸山章治:脚本演出) 1954年企画製作:文部省 製作担当:岩波映画制作所『教室の子供たち …

Plan 5 脱・個

映画は一人で作るものではない、若い頃からそう教わってきた。 そのせいか、個人映画とか、映画作家というのは苦手だった。食わず嫌いという傾向無きにしも非ずだが、いまだに「作家」とか「作品」という言葉に対するアレルギーが抜けない。仕事を始めた頃はフィ…

Plan 4 初期化

「映画史を書き換えなければならない」敬愛する映画人T監督の口癖だ。「これまで書かれてきた映画史は、商業映画の歴史であり、リアリズムの映画史でしかない。映画の世界はもっと広く深く豊かな歴史を築いてきた筈だ。アンチ・リアリズムの映画史が書かれね…

Plan 3 未開の沃野

CG技術の進化で、もはや作れない映像はない、撮れない世界はない、といわれる。 しかし、本当にそうか。 撮影機材の軽量小型化で、入り込めなかった路地裏、秘密の花園への潜入も容易になった。かつては実機をチャーターした航空撮影もいまや模型へりで賄う…