2ペンスの希望

映画言論活動中です

2013-01-01から1年間の記事一覧

「像」

キイワードその二は、「像」。 像とは、見えないものを見せる力だ。記号とは違う。 眼の前に結ぶのではない。像は、表層を超え奥行き深くに浮かび上がるものだ。 イメージとは見るものではなく、思い浮かべるもの。 Seeすることは思惟すること。 底知れぬ深さ…

「枠」

美は文体に宿る。そう思っている。文体、映画を映画たらしめている映画の文体として、とりあえず、「枠」「像」「編」「律」四つのキイワードを挙げてみる。 まず第一は「枠」について。 「枠」とは、フレーム・構図。世界をどう切り取って見せるか、だ。 そ…

やむをえず必然的に

映画の基礎理論を!なぞと大それたことを意気込んでみたが、出航そうそう難儀している。柄にもない身の程知らずと反省もしている。かの吉本隆明『言語にとって美とはなにか』第Ⅰ巻 第Ⅱ章の冒頭にはこんな記述がある。【昭和四〇年五月刊 勁草書房版】 「わた…

四つの力

指示表出と自己表出という言葉で知られる『言語にとって美とはなにか』のひそみにならって、「映画にとって美とはなにか」と問うてみる。何を今更青臭く面映いかぎりだが。 映画でなければ描けないものの映画による表現、そこから生まれる官能をこそ「映画」と…

気の遠くなるような厄介な仕事

500回を越えてからいささか動きが鈍くなった。減速気味だ。 書きたい思いは書きつくした感と、書いても書いても書き足りない不全感の狭間に居る。ペースを落としながらも、ラジカルに書き続けたいという思いが深い。 Yさんの労作『言語にとって美とはなに…

古い文章 三つ

またまたサボった。 大昔に書かれた文章ばかり読んでいて、それがそれぞれに身に応えるので、新しい意欲が湧かないでいる。困ったものだ。 といって、ジタバタしたって始まらないので、 気に入った・気になったもの数点でご機嫌伺い、お茶を濁す。 「彼(パ…

もじり

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 腰ハ低イガ志ハ高ク、腕ハ確カ 言葉はソフトだが、批評はハード。 人ヲ買イカブラズ、見クビリモセズ 恐縮スルホド礼儀正シク、呆レルホドノ無茶モスル 骨ハアルモノノ イイ加減デ面白半分 サウイフモノニ ワタシハナリタイ 宮沢…

惹句

『関根忠郎の映画惹句術』【徳間書店2012年8月刊】。 映画の本、それも現場を生きてきた人の本には面白いものが多い。これもその一冊。(それに引き較べては申し訳ないが、学者先生・研究者の映画本はゴツゴツ生煮えで消化に悪いのが多いように思う。錯…

『開店休業』

久しぶりに、気持ちの良い本を読んだ。 吉本隆明+ハルノ宵子(吉本多子)の『開店休業』【プレジデント社2013年4月刊】。2007年1月から2011年2月まで40回 雑誌「dancyu」に連載された“食”を巡る軽い物語だ。誰にでもある食と味の話が…

こどもの自由

1954年刊行の岡本太郎『今日の芸術』にこんな一節がある。 「芸術が特殊技能をもつ名人にしかできないものではなくなくなって、だれでもが作れる、ほんとうに幅ひろい、自由なものに変わってきた、その点にこそ革命の 実体があるのです。だが、「だれで…

プロとアマ

プロとアマの区別は難しい。還暦を越える歳になっても良く分からない。 銭が取れるかどうかが一つの指標なのだろうが、じゃあ実業団・社会人野球はどうなんだと言われればスッキリしない。腕の有無という判断基準も今ひとつハッキリしない。 玄人と素人とい…

映画二本

今日は、古くからの知り合いが作った新作記録映画を二本紹介する。『旅する映写機』と『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』。消え逝く35mm映写機の旅路を辿った映画と、50年前の冤罪を晴らすべく再審請求を続ける人物を追った映画。 『旅する〜…

わかってるって

1982年1月〜83年12月雑誌『話の特集』に連載されていた糸井重里の『私は嘘が嫌いだ』にこんな一節があった。 「何にでも本来のありようがあるはずだ、という考え方を私は好まない。本来とか原点とかを云々すると、必ず現在が誤りだという結論になっ…

「映画に似ること」似て非なるもの

ちょっとしたことで、1985年1986年のPFF(ぴあフィルムフェスティバル)の選評を読んだ。30年近く前、自主映画といえば8mm映画だった。若手の登竜門としてその後、毀誉褒貶・功罪が言われるPFFだが、審査員は当時すでに安直な粗製濫造に…

藤圭子

昨日書いたCSの藤圭子歌番組。驚いたのは何十年ぶりなのにどれもこれも殆ど諳んじて一緒に歌えたことだ。毎日毎日耳にしていた日々が確かにあったのだ。 ということで、今日は藤圭子。 何にしようか迷ったが、女のブルース。【1970年 作詞:石坂まさを…

ドラマとニュース

人から教えられて、BSのTVドラマを観た。 今年の初め亡くなった或る映画監督とその夫人を題材にした60分。TV局の謳い文句は「ドキュメンタリードラマ」だった。根本的なところで人物を捉え損ねていると感じた。 ただこれ以上は、ドラマの脚本・演出家・…

負のスパイラル

観客動員の減少⇒収支の悪化⇒製作コストの削減⇒スタッフの衰弱⇒品質の劣化⇒安上がり企画の横行⇒中身なし・外箱だけの過剰包装⇒法外な過大広告⇒信頼性の喪失⇒観客動員の減少に戻る。 負のスパイラル。貧すりゃ鈍する。 水を掛けるべきところに油を注ぐエセ映画…

枝葉より根幹

「物語そのものではなく、その物語に付随する様々なデータベース・その構成要素を消費の対象として受容する」ことを「データベース消費」というのだそうだ。 お恥ずかしい。不勉強で知らなかった。若い世代に人気の思想家・東浩紀さんが2001年の著書で命…

「関係の絶対性」

数日前から宇野邦一の『吉本隆明 煉獄の作法』【2013年8月19日みすず書房刊】を読んでいる。前提抜きで昨日読んだ箇所を引いてみる。 「日本の現代詩が、衣装やイデオロギーの転写ではない、真の意味の思想性を獲得するためには、内部世界と、外部現…

数字は怖い

何時頃からだろう、すべてを経済効果で換算する傾向が顕著になった。 2020東京オリンピックの直接効果(新規需要)は、或る大手都銀の試算(私算?)では1兆円強、波及効果は3兆円超(生産誘発+所得誘発)計4兆円規模だそうだ。 ノーベル賞受賞によ…

常温保存&平熱賞味

暫くサボった。このところずっとメディア・表現方法の違いについてチマチマ考えている。或る青春スポーツ小説を読んだ。500頁を超える長編小説だ。 知らなかった。 評判が高く熱烈なファンも多数居るようで、漫画になったり、舞台化され、映画にもなった…

半生(はんなま)時代って?

ブログを読んだ知人から質問が来た。 「半生(はんなま)時代の不幸」ってどういうこと、よく解らん?ということだった。 以前こう書いたことがある。【2012年2月5日「映画は練り物」】 映画は、そもそもからナマものではない。バンドのライブや生身の演…

近頃巷に‥

近頃巷に流行るもの:映画篇。 表通り‥‥設定はベタ(ありきたり)或いは荒唐無稽、演出は記号的、判り易いキャラ構成、加えて重箱の隅々にまで施された小ネタてんこ盛り(+判読要請圧力大)、そんな小技・小手先で固めた安全・安心・安穏・安牌の行列。期待…

翻訳

英語についてはからきし駄目だった。今もそうだ。読めない。喋れない。 それでも外国作家の本を愛読したりしてきた。もちろん翻訳でだ。 「翻訳は一種の批評である」という一文で始まる吉田健一の「翻訳論」にこんなくだりがあった。【典拠:『訳詩集葡萄酒の色…

屈折の時代

若い友人(といっても結構のオッサンだが)がやっているロックバンドの音楽を聴いた。普段ロックなんか聞かないのに結構聞けた。 年季の入ったヘビメタバンドながら超有名某フォーク歌手(団塊世代ど真ん中)のテイストバリバリの音楽だったからか。 面白か…

閉じないこと

自称作家・自称監督が多すぎる。 いいじゃないか当人が満足して、周りが盛り上がっているだけでも‥。 確かにその通りかもしれない。作らないのでは始まらないが、作ればいいというものでもなかろう。出来上がった「作品」はご当人と取り巻きには、努力の結晶…

ハイコンテクスト反対!

今の時代はハイコンテクストな時代なのだそうだ。 ハイコンテクストとは、「文脈依存度の高い」という意味の言葉らしい。文脈依存度。 つまりは、目の前のものを自らの感性と物差しで味わうのではなく、 そのものにまつわる知識や教養といった情報をどれだけ…

スター消失タレント跋扈

昨日の続き。 スクリーンとモニターとディスプレイ・タブレットによって、映画との距離感・向き合い方が変わると書いた。そして、ふとこんなことを思った。 この関係は、銀幕のスターが消え去り、すぐ近くにいるクラスの人気者めいたタレントたちばっかりが…

「常在能動」

昔はスクリーンだけだった。映画館の暗闇に包まれて見た。 そのうちに公民館や講堂に映写機(16mmが中心だった)を持ち込んでの映写会も増えてきた。暗幕が不十分だったりして、光の遮断が完璧でなかったり、隣りからの音が漏れてくる中で多種多様な映画…

戦争柄着物

面白いものを見た。といえば不謹慎かもしれないが、戦争中の恐らくはお宮参りや節句用の男児衣装だったのだろう、戦争柄着物。 スイス・アルプス山脈フィアヴァルト・シュテッテ湖畔に住む美術商、ヴォルフガング・ルフさんはじめ、欧米にはコレクターが何人…